前回の生野区編に引き続き、JJ編集長が独断と偏見でOKを出した特別企画!第2回となる~玉造・真田丸編~になります。
前回は豊臣側ではなく、あえて相手方(徳川方)から「大坂冬の陣」を振り返ってみましたが、もうそんなことはいってられませんよ!!(またまた日曜日が近づいてきてる!!)なんといっても難攻不落の大坂城の唯一の弱点という南側に出城(真田丸)があったとされる場所ですし、まさにドラマのタイトルにまでなり「大坂冬の陣」では「完封」勝ちを収めたの最前線ですからここは!!
ということで今回も鼻息荒めで早速ご紹介して参りましょう♪~玉造・真田丸編~です!!
参照元:NHK大河ドラマ真田丸公式ホームページより
ハイ!という訳で【~玉造・真田丸編~】で紹介する場所いくつかあるんですが、まずは玉造筋から少し入ったところにある「三光神社」です。「真田の抜け道」と「幸村公の銅像」で有名で11月には真田まつりとして1年に1度抜け道の扉が開くんだとか!
地図ではここ↓
三光神社はあまりに有名ですし地図を見ればわかるんですが、JR玉造駅からも結構近くて城東区からもかなり近いです。
三光神社東口
タカシ@JJも何度か訪れているんですが、平日でもチラホラ見学されている方を見かけるほど有名な神社になります。実はいつも玉造筋から来るので東口からしか入ったことがないため入口はここしか知りません汗
階段前には周辺地域の真田幸村公にゆかりある地域がマップ上で示されているので全体的な場所が把握しやすく観光しやすいように工夫されています。
東口から階段を上がって左手に見えてくるのがこちらの「幸村公の銅像」と奥にちょっぴり写っている「真田の抜け道」と呼ばれている洞穴です。こちらも諸説あるそうですが、ここに立ち当時を想像すると胸が高鳴ること間違いありません!!
さらに上まで上がると、このような顔出し看板まで設置してくれている盛り上がり様。さらに三光神社には
玉造周辺の真田丸をめぐるモデルコースを掲載してくれてるマップを発見!!さらにこの界隈のお店も楽しんでいただこう!という企画をされているそうで玉造周辺店舗で500円以上ご利用するとスタンプが押してもらえるというスタンプラリー付き!(たまると豪華な景品がもらえるんだとか)
一説によると当時この三光神社が真田丸の一番東側の端でここより東側は川があったり、崖やったっていう説を聞いたことがあります。改めて三光神社の東口沿いをこうして見て見ると結構な土地的な段差があるんですね。なんだかそうかもしれないと納得してしまいます。
三光神社でもらったマップによると真田丸の場所というのは諸説あるそうなんですが、大阪歴史博物館では現在の大阪明星学園を含む一帯と推定されているそうで画像の水色で囲ったところが真田丸の本体があった場所。
左と右側にある赤線で囲った部分が柵で囲まれた外郭が築かれた範囲ではないかと見ているそうです。ちなみに紫の線で囲ったところは惣構掘(そうがまえぼり)と呼ばれる大坂城の一番外側を守っていた防御ラインなんだとか。
てことは大坂城は昔、城下町街を含めるとこの辺りまであったってことですよね!?でかーーーーーーー!!!!いや~想像したらワクワクが止まりません!!!
さらに画像上、緑の丸で囲った三光神社が真田丸の右側の外郭と沿いにあることから東側に猫間川が流れていたということや崖があったということは間違いない!?
ハイ!という訳で興奮冷めやらぬ状態で次にやってきやのはこちらの道です。
地図ではここ↓
三光神社の東口沿いを左回りで回ってくるとでてくる「善福寺」。その横に伸びてる坂を上ってる途中、左手にあるのが、
幸村とその息子大助をともらうために建てた寺「心眼寺」です。
「真田幸村出丸城跡」の石碑や門扉には六文銭が。2014年には幸村(信繁)の墓碑が建立されました。
参照元:大河ドラマ「真田丸」登場人物より
真田丸の作った経緯やその詳細、冬の陣ついて書かれています。まさに先日の放送の内容!!
そしてその心眼寺からさらに坂を上っていくと、右手にある大阪明星学園の校舎らしきところに真田幸村らしき絵が描かれています!!
そのグランド横に真田丸があった場所として「真田丸顕彰碑」が設置されたそうです。
当時の配置図らしきものが記されています。
下の方には前回記事にした徳川秀忠の陣も確認!!
上の方には「蒲生」や「今福」それに「鴫野」の文字も確認!!
真田丸の場所を特定した経緯について書かれてます。いや~もうねタカシ@JJ、ここにはじめて来た時はひと段落してからすぐに真田丸のテーマ曲をyoutubeで一人聞きました(笑)めっちゃ怪しかったと思いますww。(これホントの話です)
そして真田丸のテーマ曲を堪能した後は、坂を上り終えるとこの看板がでてきます。
地図ではここ↓
こちらに下る途中右手には「真田山プール」があって、坂を降りきった交差点が「真田山」交差点になります。
反対側、大阪明星学園を右手に真っ直ぐ進むと「円珠庵鎌八幡」という幸村が戦勝祈願をしたとされるエノキの神木が残る寺があります。
そして何を隠そうこの道周辺こそが真田丸の最前線にあたる南側とされている場所なんですね!!皆さんご存知の通り「冬の陣」が講和となったあと真田丸は埋められてしまうのですが、徳川側がもっとも苦しめられたのがこの南側、ということで忌々しい南側の掘やら塀やらは跡形もなく消し去られてしまったそうなんです(先週土曜日のブラタモリで解説されていました)※諸説ありです
ブラタモリ公式ホームページより:めちゃくちゃ面白かったです!!
なので惣構掘沿いや真田丸の東側や西側といった場所では当時を体感できる段差や傾斜などが残っているそうなんですが、南側のみ何の形跡も残っていないんだそうです。(残しといてよ家康さん!!)
「円珠庵鎌八幡」に向かって歩いているとハルカスがみえる交差点が!!あちら方面には家康さんがいた茶臼山があります!!!
そして交差点を渡るとすぐに「円珠庵鎌八幡」がでてきます。
ということで水色の「円珠庵鎌八幡」まで来たので真田丸の西側の外郭あたりまで行こう!と思いさらに先へ進みます。
「円珠庵鎌八幡」から谷町筋に向かって見た景色。
来すぎてしまいましたが、 「円珠庵鎌八幡」を越え谷町筋に向けて進むと指でマップ上を指した公園がでてきます。まあこの辺りまで真田丸の外郭があったんだろうとされています。いや~ひろ!!
ということでラストはここから惣構掘があったとされる道を下って~玉造・真田丸編~を終えたいと思います。
帰り通ったルート
ここに惣構掘があったのかと想像しながら下るとたまりません。
赤点がさっきスタートした地点で水色の点まできたら
こんな交差点にでるので水色の線みたいにグネット曲がってもらいます。
大阪明星学園の学生が帰る通学路になっている道をひたすら進みます!!
するとハイ!JR玉造駅周辺に戻ってきます♪(下り坂なのでものの5分もあれば十分下ってこれます)
ということで今回はJJ特別企画「真田丸」~自転車でもいける「大坂冬の陣ゆかりの地巡り~玉造・真田丸編~」でした。
前回同様きっと様々諸説あろうかと思うので100%こうだ!というのはないのかもしれないですし、あるのかもしれないですが(どっちやねん!)やっぱり歴史は面白い♪
次回はいよいよラスト大坂城・京橋・城東区界隈を散策したいと思います!!城東区の「冬の陣」ゆかりの地をご紹介していきます!!
※あくまで城東じゃーなるとして検証した歴史的な解釈なので絶対正しいという情報ではないことを踏まえて読んでいただけると嬉しいです。
カッコイイ大坂城!!!
◇関連リンク◇
・玉造を応援する情報サイト「玉造イチバン」
玉造の周辺地域に関する情報や真田丸関連の情報がめちゃめちゃ詳しく掲載されています!!いつか編集長の方とお会いしてお話を伺ってみたい!!
・玉造勝手に観光マップ たまたまっぷ
玉造観光・ご当地イベント・クーポン付・真田丸情報などなど玉造に住んでいる方向け&たまたま玉造に来た方向けのマップです。玉造勝手に観光協会公式キャラクターのとらとうちゃんにも注目!!
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投稿者:タカシ@JJ