鴫野橋からすぐのところにある「そば一番」の店先に何やら不思議なものを発見致しました。この形状からして、、、、
地図ではここ↓
こちらに行くと一つ目の交差点「鴫野西2」を右折するとOBP方面に。左折するとスーパー玉出があります。
反対にこちら側に向かうとすぐに鴫野橋があり渡って左手に50mほど進むとJR京橋駅南口にでます。
JR京橋駅からほど近い「そば一番」さんにやってきました。普段からよく通りかかる道で何気なく通り過ぎてたんですがよく見て見ると気になる石碑?のようなものが立っていました。
それがこちら!!
よく考えると今までお店の前に自転車が停まっていたりしてはっきり見えることがなかったので知る由もなかったんですが、この日は「そば一番」でランチをしようと自転車を停めたら、この光景!!!
「大津、、、、」
いやいやここは大津やない!!!鴫野西!!!などとブツブツいいながらよくよく観察してみると大津の下にまだなんか彫られているあとが!!「大津、、、、」
う~~~んわかりません!!!
とりあえずいくら考えてもわからないので「そば一番」の店主の方に確認してみると、実はこの石碑は橋の親柱なんですね。橋の名前は「大津橋」という名前でその橋の柱の一部がこの界隈埋め立てた先に残って今のような形になってるんではないかと。
しかもお店の壁側の方には何か書かれているということで、、、
上から見て、壁におもっきり顔付けて見て見ると、、「大正元年9月、、、、」とまでは読むことができました!!まだ下に続いてるようなので、掘り起こしたら続きは読めるでしょうけど、現時点では「大正元年9月」までですね。
ちなみに大正元年というのは1912年らしく、もし親柱に書かれた文字が「大正元年9月に完成」とかであれば、1912年9月ですから今から104年ほど前に建設された橋ということになりますね。
さらに店主さんにこの辺りについて聞いたところによると元々今お店があるところに川が流れていて向かいのマンション建設時には基礎工事を行う際に中々硬い地盤が出てこずに苦労したという話を聞いた事がありますとおっしゃっていました。
確かにこうしてみると、ゆるやかな坂になってるので鴫野橋に向けてスムーズにするよう埋め立てたのかもしれません(いや全然ちがう理由かもしれないけど汗)
もし橋が架かってたとすると赤い丸で囲ったところが橋のもう一個の親柱だったのかな?
自転車で隠れて見えにくいですけど、こうして赤丸で囲った石の上から高さを揃えて写真を撮ってみると親柱との高さはそんな変わらない感じで橋だとすると納得の高さになります。
大津橋に関してはネットで調べても中々詳細が掴めず、唯一大津橋に関して書かれていたブログ(→こちら)がひとつありました。
昭和初期の地図とかあれば確認できるんですけどね~また何か分かれば記事にしたいと思います。
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投稿者:タカシ@JJ