地図ではここ↓
こちらへ行くと寝屋川沿いをずっと道なりに進み新喜多橋、新喜多大橋へと出ます。
反対にこちらにいってすぐそこの極楽橋をわたるともう解体が終わった現場に出ます。左手に見えている建物は今福小学校です。
そんなところに建てられている旧野崎道の跡石碑。
そもそも野崎街道とは、、、
通称「野崎の観音さん」で知られる曹洞宗福聚山慈眼寺(そうどうしゅうふくじゅさんじげんじ)(大東市野崎)へ参詣するルートです。当時、大坂から今福・徳庵を経ての野崎参りは、屋形船で鯰江川や寝屋川をさかのぼり住道で舟を降りて観音様まで歩いていくか、寝屋川の提をてくてくと歩いていくかのどちらかでした。2つの野崎道が出会う三叉路の今福小学校の西南角に石碑が建っています。
※輝く城東区ふれあいマップより一部抜粋しています。
とのこと。
寝屋川を船で住道まで行き、野崎の観音さんまでの参拝ルートを想像してみました。でも結構ありますよね~遠いです。昔の方はそうしてまで野崎の観音さんにお参りしてたんでしょうか?
よってみた。横に何か書いています。
色々書かれてありますが、最後の方に落語の「野崎詣」でも知られているってことで、youtubeで検索したらでてきましので一階聞いてみてください。
いくつか落語を聞いてみたんですが、「野崎詣」というのは5月1日から10日間ほどの期間で行われていたようで参拝者は奉納があって縁起がいいからという理由と、時期が良いからハイキングにっていう人たちが半々ぐらいの割合で参拝されていたみたいです。
当時徳庵ぐらいまでくると参拝者で一杯だったそうです。
まあ諸説色々あるとは思いますが、せっかくなので落語を聞いてその当時の様子を知るのもおもしろいんじゃないでしょうか。