成育5丁目に大阪城築城の際に豊臣秀吉が建てさせたという関目神社があります。なお正確な建設時期はわかってないそうです。
地図ではココ↓
関目神社の前は163号線を挟んで熊本ラーメンさんがあります。
鏡内には巨木があります!!
少し離れたところから激写!!!でかい!!!
こちら側に行くと明治天皇聖躅碑(せいちょくひ)、関目高殿駅、関目5交差点に向かいます。
こちらに行くとしまね家、かつアンドかつ関目店などがあります。この交差点を左折すると、、
関目神社の正面入り口の方へ進みます。
右手にあるコインパーキングが便利ですね。
そして正面入り口に♪
関目神社とは通称だそうで本名というか正式名称は須佐之男尊神社(すさのおのみことじんじゃ)というそうです。ネットや区役所のHPの名所・旧跡のカテゴリーにも関目神社について書かれていますので一部抜粋してご紹介。
関連サイト:城東区区役所HP(名所・旧跡)
須佐之男尊を祭神とし、現在は、関目神社と称しています。創建年代は不明ですが、天正8年(1580年)豊臣秀吉が大阪城築城の際、この地が大阪の鬼門にあたるということから鬼門鎮護の神として毘沙門天(びしゃもんてん)、牛頭天王(ごずてんのう)を勧請し、小祠を建立したのが起源といわれています。社殿は生徳年間(1712~13年)の台風により罹災しました。また、明治18年の大水害により流出しましたが、明治21年に復興しました。現在の神殿は、昭和52年10月に建て直されたものです
ちなみに本殿裏にある「明治天皇御駐輦(ちゅうれん)之趾」の碑があるんですがこれは先日記事にした明治天皇が茶屋で休憩されたという証のものです。。駐輦(ちゅうれん)とは天皇の乗った車が止まることらしいです。
さらにさらに境内には「関目発祥の地」という碑が建てられているんですが横に建つ案内文によると、関目とはこの地に見張り所(目で見張る関所)が在ったところから起こったとか。
神社ってなんであるか?なんて考えたことなかったですが、意外とその時の権力者が様々な理由で建てたものっていう事実が新鮮ですね。勝手にもう少し宗教的な何かがあったりするのかな?とお寺と神社の区別もあまりつかないタカシ@JJは思ってました汗 まあ神様祀ってあるんですけどね。
台風や水害により幾度となく無くなる危機を乗り越えて今だ健在するというのは時代を越えて大切にされてきた証拠でしょう。そういう角度から見るとそれはそれで縁起がいいかもしれません(なんだか解釈が間違っていたらごめんなさい)
とまあ何気なく普段通っている道や風景、建物も少し時代を遡れば現代の顔とは違った顔を見せてくれます。意外と知らない、知ろうとも思う機会の少ない自分の街のちょっとした歴史を覗いてみるのも悪くないですね~♪ではまた城東ローカルヒストリーでお会いしましょう!